私たちは、徹底的に「就職」にこだわる学校でありたいと考えています。
三重調理専門学校は、60年以上の歴史のなかで、食の業界と強力なネットワーク、信頼関係を培ってまいりました。三重県内外の有名ホテル・レストラン・料亭などでは、多くの卒業生が活躍し、高い評価を得ています。
三重調理専門学校には、「調理製菓2年コース」と「調理1年コース」という2つのコースがあります。
「調理製菓2年コース」では、日本料理・西洋料理・中国料理・製菓・製パンという幅広い分野の、基礎から応用までを身につけていきます。さらに、業界のニーズが高い「ホスピタリティ精神」を持った料理人となるために、サービスの心得を学んでいきます。
「調理1年コース」では、調理に特化し、日本料理・西洋料理・中国料理の基礎から応用までをしっかり身につけていきます。
どちらのコースも、幅広い分野について学びますので、自分にあった分野を見つけていくことができます。就職先選択の際も、さらには就職してからの活躍の場も、大きく広がります。
三重調理専門学校では、60年超の調理師育成ノウハウのすべてをつぎ込んで、プロとして必要な、理論・知識と技術をきちんと関連づけて習得できるように工夫された独自のカリキュラムを組んでいます。
どんな分野の仕事でも同じだと思いますが、調理の世界でも「基礎」は非常に大切です。三重調理専門学校では、基本技術を重視して、反復練習を行います。間違いやすいポイントをピックアップして、"コツ"を指導していくよう心がけています。
また、少人数での実習を実施し、教員は学生一人ひとりのクセや技術の習得状況を把握しています。できるだけ一人ひとりに多くの時間をかけて、各学生の今の状況にあわせた的確なサポートができるように心がけています。
三重調理専門学校では、食の世界で"即戦力"として活躍できる人材の育成に力を入れています。たとえば実習では、最初は、時間をかけてていねいに一品を作っていくのですが、それができたら今度は、「いかに美味しく、いかに早く」作れるか、「段取り力」や「実践力」を磨いていきます。
さらには、学生の実習店舗「ピッコロ」で、本物のお店運営の経験も重ねていきます。
また、講師の先生から、修行時代の話や業界の話など、経験から学んだ貴重な話を効く機会もたっぷり。
現場で通用する"プロの仕事力"が身につくよう、指導を進めます。
不況と言われている今の時代では「手に職」をつけることは、大きな強みになります。食の業界は、まさに腕一本勝負の世界。技術をしっかり身につければ、一生続けていくことが可能です。
また、食は命の根源とも言うべき欠かせないものであり、食べることに、本能的に喜びを感じます。これからどれだけ時代が変わっても、決して無くなることはない仕事だと言えるでしょう。
「料理なんかしたことないし、不器用そうなのに大丈夫だろうか」
そう心配される保護者の方も多いと思いますが、入学時点での経験の有無や手先の器用さなどは、ほとんど関係ありません。逆に、悪いクセがついていないところから始めた方が良いので、未経験の方が望ましい、とさえ言えるかもしれません。
三重調理専門学校では、「未経験からのゼロスタート」を基準としてカリキュラムが組まれています。最初はみな包丁を持つのさえおっかなびっくりですが、1ヶ月経ち、3ヶ月経ちと練習を重ねていくと、徐々にその技術も上達してゆきます。また教員はそうなるように指導、サポートしていきます。
大川学園の歴史は、昭和20年、終戦の年の秋にまで遡ります。この年開設された洋裁塾が、学園のスタートでした。洋裁塾とともに、昭和24年には、料理教室も開設されました。当時、津では他に無かったということもあったのか、この料理教室は大評判でした。
時代が少し進んだ昭和35年、当時の厚生省は、専門的職業能力を持った人材を育成するためにと、新しく「調理師養成」学校設立の法律を制定しました。すると、三重県(保健所)と三重調理師連合会から「次代を担う三重の料理人を育成してくれる専門学校を、県都・津に作ってほしい」との要請が本校にありました。
この要請を受け、早速専門学校の設置認可を申請し、の昭和36年に本校が調理師養成施設として開校しました。当時は調理師養成の法律ができたばかりで、三重県はもとより、全国的にもまだ数少いころ。全国の調理専門学校のなかでも、おそらく10番以内くらいに早い開校でした。本校の歴史は、日本に調理師養成の学校ができた歴史の長さと、ほぼ同じなのです。
以来、50年以上に渡り、調理師の育成一筋に研鑽を重ねてきました。
近年においても、平成6年に「2年コース」を開設、平成18年に実習室リニューアル、平成19年には学生の実習店舗「ピッコロ」を開設するなど、常に時代の先を見つめてカリキュラム・設備の充実に努めています。