7月15日 ちょっといいお話 ~おばあちゃんとの思い出~ 執筆 久保健太 フレーベル館より
💛私の読んでいる保育ナビ(フレーベル館)で素敵なお話があったのでご紹介します。
私は『おばあちゃん子』だった。
母方の祖母(私の母親の母親)にとっては、私が初孫だったこともあり、祖母は私を溺愛した。
私は埼玉で生まれ育ったが、三重の祖母に預けられていた時があった。ちょうど妹が生まれる時のことで、長い間、祖母の所に預けられ、そこで育った。母親と離れて1年近くを過ごしたはずなのに、寂しかった記憶はない。それくらい祖母に可愛がられ、甘えていた。懐いていた。
私を迎えに来た母親に『埼玉に帰りたくない』『おばあちゃんのところにもっといたい』と大泣きで訴えたらしい。そうして、みんなを困らせながら、祖母のところで暮らしていた。
祖母は『けんたはいい子だ』『けんたはやさしい子だ』『けんたはおりこうさんだ』といつも言ってくれた。今も私に根づいている『僕は、やればできる』という『根拠のない自信』は、祖母によって育てられたものだろう。
おばあちゃんといっても、50歳で初孫を得た祖母は、『ガリガリのお年寄り』には程遠い肥満体で、まるでお相撲さんのような体型だった。七福神の布袋(ほてい)さんみたいな体型と言ってもいい。そんなデブデブのおばあちゃんにしがみついて寝るのが大好きだった。ブヨブヨの体は、チビの私を、文字通り、包み込んでくれた。幸せだった。
2002年。祖母が脳梗塞にかかり、左半身にまひが残った。東京の大学に通っていた私は、三重まで見舞に行った。私が行くと祖母は大変喜んだ。そして、まひしたはずの左手で、私の手を握ろうとした。
私も驚いたが、お医者さんも驚いた。『リハビリの器具は握ろうとしないんです。だけど、お孫さんの手は握ろうとするんですね』。
少しの間、大学を休んで、毎日お見舞いに行った。祖母は2004年に亡くなった。
リハビリ器具は握ろうとしなくても、初孫の手は握ろうとする。
人間の真理だと思う。私は、『まちづくり』の研究をしているが、その原点にはこの真理がある。握りたくなるような『手』を、元気なうちに、たくさん貯めておく。それが、『初孫の手』じゃなくても、『初孫のような手』を、たくさん貯めておく。そのためには、『まち』の中に、もっと人間同士のかかわりがなくてはいけない。祖母が遺してくれた真理である。

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